高校の還暦記念同期会に出席するため、久しぶりに松山へ行くことにした。
その高校は1年生の時、仙台から転校した学校で、私は入学試験を2度も受けるはめに。父は転勤族で3年間隔くらいに異動で転勤していて、私は小・中・高ともひとつの学校にいたことはなかった。
松山は6年ぶりの訪問だが、高校卒業の3月に父の大阪転勤で松山を離れたので、以来42年間、高校の同窓会には一度も出席したことはなかった。昨年10月には、仙台で卒業した中学校の還暦記念同期会に出席して久しぶりに懐かしい友人にも会えたので、高校のほうにも行くことにした。
さて、今回の旅も当然のことながら「鉄旅」で、東京→高松を久しぶりに寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗車することを迷うことなく選択した。高松には、Woodpecker-Mの妹が嫁いでおり、会うことになったので家内も同行することになった。
「サンライズ瀬戸」(「サンライズ出雲」と併結)は、客車のブルートレインとは違い、電車寝台特急として唯一走っている珍しい存在である。
寝台券の確保は、昨年夏の「カシオペア」の時と同じく、駅の「みどりの窓口」で乗車日1か月前午前10時の発売開始時に「サンライズツイン」をインプット予約するよう頼んでおいた。そうしたら、難なくそのツインルームがとれたとの連絡が来た。ツイン個室は1編成に4部屋しかなく、とれたのが意外で拍子抜けしたが、こちらとしては助かった。シングル2部屋とか、第2、第3希望まで書いて頼んでおいたが余計な心配だった。
出発の12月27日、東京駅のホームは午後9時半を過ぎると、結構乗客が集まり始め、ホームに入線する写真を撮るために列ができたほどだ。もう年末の帰省が始まっていたのだろう。かつて出張で高松に行く時に狭いシングルを利用していたが、ツインルームの部屋は初めてだ。
ツインの部屋は、2階建構造の1階部分にあり、ベッドが2つ並ぶだけのシンプルな個室。寝るだけならそれなりのスペースで、十分快適である。「カシオペア」のA寝台ツインとは異なり、こちらはB寝台で、トイレも洗面も付いていない。窓の下のラインがホームの地べたでモグラの気分だ。
東京を午後10時に出発し、高松には翌朝7時27分に到着する9時間27分の旅である。途中、岡山で併結の出雲市行き「サンライズ出雲」を切り離してお別れとなる。7両+7両の14両編成である。
北海道行きの寝台列車とは違い、距離と時間が短いため、出発したらすぐに寝る時間だ。夕食も朝食もないのが寂しい限りだ。シャワー設備がついているので使うことができるが、我々は、夕方自宅で入浴してきたので利用しなかった。
列車は順調に進み、朝6時ごろ岡山に到着。いよいよ瀬戸大橋を渡る頃と、ブラインドを開けて窓の外を見てみるとあれー?まだ真っ暗。季節は冬だった。この時期夜明けは遅い。28日は天気予報通りの雨だった。
7時27分定刻どおり高松駅に到着し、駅前のホテルに荷物を預け、ラウンジでコーヒーをすすって、雨の高松での行動を開始した。
まずは「ことでん」(高松琴平電鉄)に乗り、金刀比羅宮(こんぴらさん)へ行くことにした。1日フリー切符(1200円)を購入。琴電琴平までを1往復すると元が取れてしまうから買わない手はない。
地方の鉄道では都落ちした私鉄電車が走るのをよく見るが、「ことでん」も同様だ。京王電鉄の5000系、京浜急行の1800型など、いろいろな車両が元気に走っていて懐かしくて嬉しくなる。
金刀比羅宮へは有名なあの長〜い階段を登らなくてはならない。本宮までで785段、奥宮までいくと1325段もある。冷たい12月の雨の中を傘をさしつつ凍えながら一歩一歩登っていく。日頃の運動不足がたたって、いい加減足が疲れ、息を切らしながら途中休憩をとりつつひたすら登っていく。まあ、結構な有酸素運動である。雨さえやんでくれればなあーとブツブツ言いながら、ようやく本宮に到着。
参拝してこの上の奥宮まで行く?これ以上無理。足が限界だ。朝飯もロクに食べてないのでもうエネルギーが足りない。
少々下へ降りると、登る時には気がつかなかったが、なんと、場違いな資生堂パーラーレストラン「神椿」があるではないか。なんで神社の境内にあるの?これは助かったと、即入店。セットランチで空腹を満たして活動再開。お昼頃には幸運にも雨が上がり、ようやく写真を撮る気になってきた。
再びことでんに乗って高松まで戻り、家内の義妹の嫁ぎ先を訪問、義父母のお二人にご挨拶。
夜、義妹夫妻と市内の繁華街で食事をして、2次会3次会と飲むほうはとどめを知らず、午前様でホテルに帰還。楽しい時間を過ごした。こうして寒い雨の高松での1日目は終了。